日鑑 - 金戒光明寺のブログ -

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このページは、くろ谷 金戒光明寺が2013年2月12日 10:59に書いたブログ記事です。

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「京の冬の旅」特別公開の見どころ

ただいま当山では京の冬の旅特別公開を行っております。
連日たくさんの方にお参りいただき誠に有難うございます。

本年は特にNHK大河ドラマ「八重の桜」にちなんだ展示品を公開しております。
当山は八重の故郷である会津藩と縁のあるお寺として知られております。
以下のような事から、当山と会津藩との関わりが始まります。

幕末では反幕府勢力や尊皇攘夷派勢力が台頭し、
時の天皇のお住まいがあるという政治上重要な場所になる京都は
暗殺や強奪が日常化し、手のつけようのない状態になっていました。
その為、文久2年(1862)に徳川幕府はついに新しい職制を作り
京都の治安維持に当たらせることとなり、それが京都守護職となりました。

文久二年閏八月一日、会津藩主松平容保(かたもり)は江戸城へ登城し、
十四代将軍徳川家茂から京都守護職・正四位下に任ぜられ、
役料五万石・金三万両を与えられました。

会津藩は京都守護職に任命されるにあたり幾度か固辞をしましたが、
藩祖保科正之(三代将軍家光の異母弟)の「家訓(かきん)」に順じて
容保が決意する運びとなりました。


守護職を拝命するにあたっては、家老の西郷頼母・田中土佐は、
「薪を背負って火を防ぐようなもの」と反対しますが容保の意は変わらず
家臣も「君臣唯京師の地を以て死所となすべきなり」と
肩を合わせて泣き崩れたといいます。

これにより君臣一丸、会津藩松平容保は家臣一千名を率い
文久二年十二月二十四日午前九時頃京都三条大橋に到着、
京都所司代・京都町奉行所の出迎えを受けました。
本陣となった金戒光明寺に至るまでの間、
威風堂々とした会津正規兵の行軍が一里余りも続き、
京の町衆も両側に人垣を作り大歓迎したと伝えきいております。

 

当山の山門(修復中)の西に境内地に入る為の高麗門という門があります。
この門は寺院の境内に入る門としては珍しく、十分な高さのある門です。
会津藩士の行列が当山に入る時は、行列の中でも槍を持った兵士が
槍を降ろすことなく堂々とした姿を見せることが出来たのではないか
そのように思いをはせて散策いただけると思います。

 

尚、当山へ拝観の際は御本尊様ならび法然上人にお手を合わせお参り下さい。

 

お車でお越しの方は高麗門を抜け、山門(修復中)下の駐車場(有料)にお停め下さい。
駐車場は乗用車専用です。団体のバスは停めることが出来ません。

・駐車料金 1時間まで 400円
      1時間以降 800円
      1日最大  800円
      (午後24時をすぎると2日分の料金になります)

 

金戒光明寺 京の冬の旅特別公開の詳細はこちら

京の冬の旅についての詳細はこちら

 

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