金戒光明寺について

宗旨/浄土宗
開山・宗祖/法然上人(源空) (1133~1212・鎌倉時代)
唱える言葉/ 南無阿弥陀仏
本尊/阿弥陀如来

法然上人がはじめて草庵を営まれた地である。
十五歳で比叡山に登られた上人が承安5年(1175年)四十三歳の時お念仏の教えを広めるために、山頂の石の上でお念仏をされた時、
紫雲全山にみなぎり光明があたりを照らしたことから この地に草庵をむすばれた。これが浄土宗最初の寺院となった。

紫雲山・くろ谷 金戒光明寺

浄土宗の大本山、承安5年法然上人が比叡山の黒谷を下り、草庵を結ばれたのが浄土宗最初の寺院 のはじまり。
西山連峰、黒谷の西2キロの京都御所、西10キロの小倉山を眺み山門、阿弥陀堂、本堂 など18もの塔頭寺院が建ち並ぶ。
また、幕末京都守護職会津藩一千名の本陣にもなった。

心に響く念仏

紫雲山つまり黒谷の岡は東の崖が険しく、西の傾斜に本坊から山内寺院、墓までが整然と建ちならぶ。
とりわけ一万基をこえる墓碑はその殆んどが西向きで建てられている。
なぜだろう?答えは目を水平に西に向けると判然とする。

黒谷の西二キロに京都御所、更に西十キロ余で小倉山にたどりつく、ここは西山連峰中もっとも低い鞍部になる。 彼岸の中日のころは真赤な夕陽が静かに沈むのが拝める京都盆地唯一の場所である。
春秋の彼岸には夕日を拝んで仏を観る日想観をする人で埋めつくされ、口々に唱えるナムアミダブツの念仏の声は大きなうねりとなり、長い生命の中で生きる喜びの響きとなって京童たちもたくまざる演出に感動し、念仏を相続したものであった。

御影堂(大殿)

内陣正面には宗祖法然上人75歳の御影(座像)を奉安している。
火災による焼失後、昭和19年に再建となったもので、堂内の光線と音響に細部の注意がこらされて昭和時代の模範建築物といわれている。


文殊菩薩(渡海文殊形式)



金戒光明寺の文殊菩薩と脇侍の尊像は、運慶作と伝えられています。
往古、当山北西の中山宝幢寺(ほうどうじ)の本尊でしたが、応仁の乱の兵火により廃寺となり近くに小堂を造って祀られていました。
その後、当山の方丈に遷座され寛永十年(一六三三)豊永堅齋が二代将軍徳川秀忠公菩提のために三重塔を建立した時に本尊として奉遷されました。
貞享三年(一六八六)刊の『雍州府誌』には「本朝三文殊の一つなり」とあり、古来より奈良の「安倍の文殊」天橋立の「切戸の文殊」と共に信仰を集めていました。
獅子に騎乗する文殊菩薩を中心に手綱を執る優填王(うてんおう)・仏陀波利三蔵(ぶっだはりさんぞう)・最勝老人(さいしょうろうじん)の四躯が京都市の文化財に指定されたのを期に、経年の傷みや剥落が激しく五年をかけて修復されました。
欠失していた善財童子は古式に準じて新調し、ここに渡海文殊形式が整いました。
当山では、法然上人八百年遠忌を記念して一般の方々にも広く文殊様の御利益を頂けますよう、総檜造り本漆塗り蝋色仕様の壇に「白檀かけ」という金箔押しに生漆塗りを施した背板を取り付けた須彌壇を作り、総高二・八メートルの文殊騎獅像と等身大の眷属四躯を御影堂左脇に荘厳し、平成二十年四月二十二日御遷座開眼法要をいたしました。

まことある かなわぬみちも かなふなり
ましてほとけの ちかひあるをや


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